自分という小さな存在が大きな存在に変化する瞬間

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先日、小林麻央さんが亡くなったことにショックを受けました。
私の主人も先日亡くなりました。
最初から暗い話題となりましたが、
人の生命に対して深く考えさせられる今日この頃です。

人は生きている限り、いつか終わりがある。
それは人でなくても同じ。
生命が存在する限り、終わりが存在する。

自分がいなくなるということは到底想像できないし、
いつも心配してばかりしてもいられない。
でも、いつかその時は来るということも心のどこかに留めておかなければならない。

真央さんも若くしてなくなったけど、
私の主人も真央さんと同じくらいの年齢で亡くなりました。

あまりにも突然のことで、
もしかしたら張本人は気づいていないんでは?
というくらい急なことだったのです。

1つ大きく感じたこと。
一番悲しいのはその周りにいる家族たち。
本人は悲しいという感情はないだろう。
もちろん、思い残したこと・心残りはあるかもしれない。
若いから、年だからということではなく
その人の生き方次第だけど。

そして、悲しいのだけど、
世の中は誰かが亡くなっても何も変わらないという現実。
 

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家族には大きなことだけど、
この世にとては、世界にとっては、
他の知らない誰かにとっては、
何も影響がない。
悲しいという感情は、
その人個人的なものであって、
世界の動きは変わらない。

亡くなって、周りのみなが悲しみ、
伏せた日々を過ごし、
町中ふと顔を上げてみたとき、
誰しもが普通に過ごしている。
普通に歩いている。
何も光景が変わっていない。
そして、だれかがいなくなったことすら知らない。

自分がいなくなってもそうなんだと実感する。

ちっぽけな自分の存在。

でも、ふと考える。
生きている今、何かできることはないか?

自分という小さな存在ができること。
小さな存在でも集まって群衆の力となったときに
大きな、価値のあることができるのでは?
そんなことを考えながら、
このプロジェクトに注目しています。

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